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SIMON HOUSE | サイモン・ハウス
ディスコグラフィ
CD

子供の頃クラシックの教育を受けバイオリンを弾いていました。あのハイ・タイドが初めてのプロバンド。その後、サード・イアー・バンド(以降TEB表記)に加入し、バイオリンに加えてVCS3シンセサイザーをプレイすることで電化TEBの一翼を担った。
74年にホークウインドに加入後はバイオリン、VCS3に加えメロトロン、KORGシンセ、オルガンなどマルチキーボードを展開し、70年代中期のホークスの音楽的発展に貢献しました。「絶体絶命」(1975) も彼なしではあの完成はみなかったと思います。78年に以前から知り合いだったデヴィッド・ボウイに誘われてホークスを離脱。ワールドツアーの参加(来日も)、ライブアルバム「ステージ」、スタジオアルバム「ロジャー」に参加。その後ホークスに戻ろうと思ったが、ホークスは78年一時解散→ホウクローズ結成などごたごたで、ゲスト参加するもメンバーには戻らず。
セッションマンとして81年にはブルース・ウーリー(バグルスの2人と「ラジオスターの悲劇」を作曲)のシングルでキーボードを演奏、バイオリニストとして、ジャパン、トーマス・ドルビーのレコーディング、83年はマイク・オールドフィールドのツアーメンバーとして活躍。
89年にホークスに復帰しツアーに参加、90年のSPACE BANDITSのレコーディングに参加後、お子さんの病気治療に専念するためホークスを離脱。
94年に初めてのソロアルバムをホークスのレーベルEBSからリリース。ニック・ターナーのバンドに招聘され、デル・ダットマーやアラン・パウエルらの旧ホークスメンとUSツアー、日本にも来日。この頃SPIRAL REALMSというプロジェクトで数枚のアルバムを制作。
99年からホークスのリユニオンの流れで三たびの参加となり、リユニオン後も2003年まで継続して参加しました。この時アルバム制作がされず、その後ホークスには戻っていません。
その後、表立った活動としては、2004〜2006年に元フェアポート・コンヴェンションやGG&Fに在籍した故ジュディ・ダイブルのシーン復帰の1作目から3作目までの参加があります。近年はターナーやアラン・デイヴィのプロジェクトにゲスト参加する程度で表舞台からは遠ざかっている感じです。




サイモン・ハウス・インタビュー
ホークウインド関連アーティスト

2022/03/27 update


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