THIS IS HAWKWIND DO NOT PANIC
by Kris Tait (1984)

表紙は青文字と赤文字の2種存在しています。
ホークスの歴史をインサイドから綴ったアンソロジー。出版元はホークスのオフィシャル・セラー HAWKWIND MERCHANDISING、編者は80年代からホークスの舞台演出兼ダンサーを勤めているクリス・テイト。彼女は90年代後半よりマネージメントも担当しています。
グループ創生期から81年までの歴史を、メンバーによるインタビューを交え客観的に書かれています。一般に流れていない当時の状況が各メンバーに詳しく語られているので興味深い資料です。70年代のドラッグ・カルチャーの一翼であったホークスのドラッグ絡みの逸話が多数書かれています。モノクロですがスナップや新聞の切り抜きも多数掲載されています。
ここからいくつかの記述と写真を以下に紹介します。
管理人所有の上2冊のうち片方には作者クリス、デイヴ、ニック、ベインブリッジ、ラントンの直筆サインが入っていました。 HAWKWIND のネーミングは、やはりニックの愛称から取られたとのこと。由来は彼が頻繁に咳をして風を起すから。

1stアルバムのプロデューサー、ディック・テイラーはアルバムでも若干ギターをプレイ(FAMILY TREE にも記述ありましたね)、当時のギグでもプレイしていた。
70年の伝説のワイト島フェスティバル場外演奏時のこと。ジミヘンは自分の出番が終了してから、場外のホークスに興味を持ち、一緒にジャムりたかったが、疲労のため断念しステージ前に座って眺めていた。メンバーは誰も気付かず、後になって知った。

この時、ステイシアにニックが初めて遭ったが、彼女はニックをホークスのメンバーとは信じず、ニックと「オレはバンドにいたぜ」「いなかったわよ!」の言い合いをしたそうです。

デイヴ・アンダーソンがクビになった理由は、バンドをスーパースターのようにしたがり、確実な金儲けを提案していた。彼はスポーツカーに乗っていたり派手な生活を好んでいたそう。今も金儲けのために悪行しますので、昔からそうだったのですね〜。

アンダーソンの代わりにとディックミックが連れてきたのがレミー。強烈にスピードにはまっているのを見て、バンドはヤバイと思い半年間という約束で参加させた。ベースは所有しておらず、当初はデルのを借りていた。

ステイシアは71年4月のギグに再び現れ、「ステージでダンスしていい?」と尋ねてきたので、ニックが「服を脱いでる間だけならいいよ」というと本当にしてしまった。
ダトマー、オリス、アンダーソン、ブロック、ニック
オリス、ダトマー、ディックミック、ブロック、カルバート、ニック、レミー
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