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サイモン・ハウス インタビュー
「レイドバックしたスペイシーなものが好きなんだ」

ホークウインドに在籍したメンバーの中で(レミーは別格として)メジャーアーティストとの共演が多いのはサイモン・ハウスさんではないでしょうか。バイオリンについては正規の音楽教育を受けていたそうです。プログレファンにはハイ・タイドやサード・イアー・バンドという通好みのバンドを歴任、ホークスに大胆なメロトロン導入をしたことでも知られますね。78年のホークス脱退はデヴィッド・ボウイに呼ばれたことが原因。その後ジャパンのアルバムに参加したり、マイク・オールドフィールドのツアーメンバーを歴任。ホークスには90年代、2000年代初頭にも復帰。その後故ジュディ・ダイブルのソロ作品に参加。近年はアラン・デイヴィ、ニック・ターナーの作品に客演しています。
かなり前(96年頃と思われます)となりますが、興味深いインタビュー記事がありましたので紹介します。
合わせてサイモン・ハウスのディスコグラフィも公開しました。

Simon House w/Violin
Simon House w/Keyboards

彼はビートルズを知るまでは、クラシック音楽が唯一の関心事だったそうです。
ヴァイオリンを選んだ理由を教えてください。

SH「いや、本当に覚えていないです。その時は、何となくやってみようかな、という感じでした」

彼は7年間バイオリンを学び、いくつかのオーケストラで演奏し、その中には父親と一緒に演奏したマンスフィールド・アンド・ディストリクト・ライト・オーケストラも含まれていました。サイモンは大学に進学しましたが、60年代の風潮にのまれ中退してしまいます。その結果、いくつかの仕事をしますが、ほとんど稼げなくなったそうです。サイモンは、ウェイン・バーデル、トニー・ヒルと一緒にアパートに住んでおり、1968年、サイモンとヒルは、ピート・パブリ、ロジャー・ハデンとともにハイ・タイドを結成。サイモンは最初ベースをプレイしていましたが、すぐにパブリが加入したことで、バイオリンに戻ります。ウェイン・バーデルは彼らのマネージャーとなり、ダグ・スミスのクリアウォーター・プロダクションと契約します。

SH「最初のバンドはハイ・タイドで私は20歳でした」

ハイ・タイドはかなりエネルギッシュなロックバンドだったようですね。ソロパートもかなりあったのではないですか?

SH「ええ、かなり複雑な構造になっていますが、多くのジャムの要素があります。2枚のアルバムを出した後、ちょっと燃え尽きてしまいました」


ハイ・タイドは1969年に「Sea Shanties」を、1970年に「High Tide」をリリース。またホークウインドなど、クリアウォーターの他のアーティストともツアーを行いました。1971年、ハイ・タイドは終了します。ハウスはサード・イヤー・バンドがヴァイオリニストを探していることを知り、オーディションなし、彼の評判だけでこの仕事を獲得。

SH「私は一時期、サード・イヤー・バンドに参加していました。約1年です。ポランスキーの『マクベス』のサウンドトラックや、たくさんのコンサートなど、かなり多くのことをやりました。その後バンドは、特にイタリアで成功したようです。彼ら(イタリア人)は風変わりなものが好きなんです」

サード・イヤー・バンドの「マクベス」、このアルバムが唯一のハウス参加作品でしたが、その後お蔵入りしていた事実上の4thアルバムが2004年、日の目を浴びることになりました。ハウスは積極的にシンセサイザー(EMS VCS3)を取り入れ、エレクトリックな方向性が強まった作風となっています。

サード・イヤー・バンド「マクベス(リマスタード&イクスパンディッド・エディション)」
THIRD EAR BAND / THIRD EAR BAND'S MUSIC FROM MACBETH - ESOTERIC RECORDINGS PECLEC2656 (2019)
国内盤マーキー/ベル・アンティーク MAR193066
ポランスキーの同題映画のサントラとして有名なアルバム。ポール・バックマスター(cello)、デニス・ブリッジス(g)にハウスが参加と大幅にメンバーが変更になり、エレキやシンセなどが加わった事で電化の方向性も模索されている。このエソテリックのリマスターは未発表のデモテイク3曲(Fleanceもあり)を含む。
サード・イヤー・バンド「ザ・メイガス」
THIRD EAR BAND / THE MAGUS - ANGEL AIR SJPCD173 (2004)
国内盤ベル・アンティークMAR04943
幻のお蔵入り4thアルバム。前作以降に残った3名(グレン・スイーニー、ポール・ミンス、ハウス)にマイケル・マーチャント(g/vo)、ロン・カート(perc)が加わって制作されたアルバム。ボーカルの入った小曲中心、電化はより進みバンドとして進化しているが「らしくない」と評価されたのか、当時はリリースされず、30年経って日の目を見た作品。ハウスの活躍が著しくホークスファンにはおすすめ。
BOOK OF ALCHEMIES THE DRAGON AWAKE
THE DRAGON WAKES w/LUCA CHINO FERRARI / GLEN SWEENEY'S BOOK OF ALCHEMIES, THE LIFE AND TIMES OF THE THIRD EAR BAND 1967-1973 - ReR November Books(2020)
晩年のTEBサポートに尽力したイタリアのルカ・キノ・フェラーリが2020年に上梓したバイオ本に付属しているCD。70年〜71年にレコーディングされ、やはりお蔵入りしていたテイクを集めたアルバム。ハウス加入前と加入後のテイクが混在。ハウス参加曲はマクベス制作期の頃でバックマスター、ブリッジスがいます。かなりロック寄りのアプローチも行っており、過渡期のTEBの状態が分かります。

サード・イヤー・バンド72年の映像

メンバーはグレン・スイニー(dr)、ポール・ミンス(ob)、ハウス(key/vn)、一時期在籍したピート・パブリ(b)、マイケル・マーチャント(g/vo)という布陣。
▼ハウスのVCS3の演奏必見!

▼こちらはバイオリンプレイ


サード・イヤー・バンドの後、1972年にマジック・マッスル、1973年にバークレイ・ジェームス・ハーベストと共演。短い期間でしたが、なかなかうまくいかなかったので、サイモンはバンド活動を休止、日雇いの仕事に就きました。そして1974年、ハウスはエドモントンのサンダウンでホークウインドのオーディションを兼ねたギグに参加。すぐにバンドメンバーになりました。
ホークウインドのことは知ってたんですよね、ハイ・タイドと以前ギグをしたことがありましたか?

SH「ホークウインドの最初のライブの時、当時はグループXと呼ばれていました。ハイ・タイドもそこで演奏しました。ロンドンのラドブローク・グローブにあるAll Saint's Hallでね。彼らはかなり突飛なバンドでした。当時、ハイ・タイドとホークウインドは同じマネージメントだったから、みんな知り合いだったんです。
私はバイオリン、メロトロン、VCS3というシンセサイザーを演奏しました。VCS3は、イギリスで最初に発売されたシンセサイザーのひとつです。それらは素晴らしいマシンで、今ではできないようなことができました」

ハウスがホークウインドに正式加入したのは、アメリカツアーの前夜だったとのこと。彼の労働許可証を取得する時間はなかったそうですが、とりあえず参加し一緒に演奏することができ、イギリスに戻ったホークウインドは、アルバムのレコーディングを始めました。

ホークウインドは、あなたがそれまでに関わったバンドよりも、スタジオでは先進的なバンドでしたか?面白いエフェクトなどがたくさんあったのでは?

SH「いや、そうでもないよ。当時はかなりベーシックなものだった。それにしても長い間ホークウインドのアルバムを聴いていません。いつかじっくりと聴いてみたい」

ハウスはその他、マイケル・ムアコックのアルバム「New World's Fair」に参加し、元ハイタイドのピート・パブリと再会。ボブ・カルバートの「Lucky Leif and The Longships」にも参加します。

故ボブ・カルバートと一緒に仕事をされましたが、彼は一緒にいてとても面白い人だったように思います。彼はどのような人でしたか?

SH「彼はとてもクリエイティブな人で、とても面白い人でした。何度か道を踏み外したこともあったようですが、必ず戻ってきてくれました。彼の歌詞は本当に素晴らしいと思います。彼はとても過小評価されていました」

ハウスは1976年のホークスの大人事で生き残ります。ニック・ターナー、アラン・パウエル、ポール・ルドルフの3人はクビになり、デイヴ・ブロックが自分のバンドを取り戻しました。

デイブ・ブロックとの関係はどうでしたか?多くの人が出入りしているので、一緒に仕事をするのは難しいのではないかという印象を受けますが、実際はどうでしたか?

SH「私たちはとても仲が良く、デイヴとは一度も喧嘩をしたことがありません。今までバンドにいたときも、彼はとても仕事がしやすかったです」

1977年には「Quark, Strangeness and Charm」がリリースされます。元マジック・マッスルのベーシスト、エイドリアン・ショーがベースで参加。ホークウインドは多くのツアーを行い絶好調で、イギリスとヨーロッパのツアーはいずれも好評を博しました。その後、78年に小規模のアメリカ・ツアーが行われました。

78年の「Quark, Strangeness and Charm」USツアーでは、途中で抜けましたね。

SH「ええ、あの時はボウイに参加しました」

あのUSツアーはあまりうまくいかなかったという噂がありますが、途中離脱してホッとしましたか?

SH「まあ、何とも言えないね。もうホークウインドを辞めるつもりだったし、ボウイに行くのはとにかく大きな変化だったからね」

ホークウィンドでのギグに対して、ボウイの「Stage」ツアーでは大きなアリーナで演奏するようになりましたね。これはどうでしたか?慣れるのに時間がかかりましたか?

SH「最初のコンサートはちょっと怖かったですね。でも、実際に演奏を始めてみて、すべてがうまくいっていると、だんだんリラックスできるようになります。でも、そうですね、大きな変化でした。最初はダラスで2週間のリハーサルを行いました」

2週間ですか。ボウイの曲をかなり広範囲に渡って覚えなければならなかったのですね。

SH「その通りです。ツアーは素晴らしいセットを作り、ボウイの優れた曲、インストゥルメンタルの曲もたくさん演奏して、素晴らしいものでした。演奏するのはとても楽しかったです。とても良いバンドでもありました」

デヴィッド・ボウイとはどのようにして知り合ったのですか?

SH「デヴィッドと初めて会ったのは、ハイ・タイドのリハーサルをしていたときです。ハイ・タイドのギタリスト、トニー・ヒルはデビッドと一緒に演奏していたことがあったので、彼とは何度か会っていました。ハイ・タイドは、デビッド・ボウイが有名になる前に、一緒に何度かギグを行っていました。そこから始まったんだ。ある夜、彼は電話をかけてきて、ツアーをやらないかと聞いてきました。私は信じられませんでした。2、3日後に彼から電話があり、私はさらに2、3日考えました。そして、私は飛びつきました」

「Stage」ツアーの後、ホークウインドに戻るつもりでしたが、アメリカ・ツアーの後ホークウインドは解散状態になっていたので、彼はボウイ側に残りスタジオで「Lodger」の制作に参加しました。

SH「私たちは、スイスのモントルーで数週間を過ごしました。イーノやボウイ、その他のメンバーと一緒にスタジオで作業しました。それは素晴らしかったです。イーノと一緒に仕事をするのはとても楽しかったです。彼はいつも奇妙なアイデアを出してくれました。一緒に仕事をするのは、とても楽しく興味深い。

彼らから学んだことはありますか?イーノとボウイは当時、非常に良い音楽を作っていたように思えます。

SH「2人とも非常に才能があり、とても知的で何にでも挑戦し、失敗を恐れない人たちでした。同時にとても良いアイデアも出していました。」

ホークウインドでの4年間の活動の後、ハウスはフリーとして活動します。デヴィッド・ボウイの1978年の「Stage」と1980年の「Lodger」の2枚のアルバムに参加。ホウクローズの一部のレコーディングにも参加し、1980年のロバート・カルバートのアルバム「Hype」ではカルバートと再会。その後、セッションマンとしてジャパンの1980年の「Gentlemen Take Polaroids」、1981年の「Tin Drum」に参加。ブルース・ウーリー&ザ・カメラクラブの2ndアルバムに参加。また元カメラクラブのメンバーであるトーマス・ドルビーの『The Golden Age of Wireless』にも参加しました。
1981年、ハウスはサイモン・キング、アンディ・コルクホーン、イアン・ヘンダーソン、トム・ジャックソンとともにターボ(Turbo)を結成しました。ターボはデモを録音しましたが、リリースまで至らず解散しました。1982年、彼はソロアルバム「House Of Dreams」の制作を開始しましたが、当時リリースされませんでした。(後の2002年にリリースされます)

他の音楽、他のアーティストを聴くことはありますか?

SH「ほとんど聴かないです。 クラシック音楽はよく聴きます。私は少し疎いのかもしれません。世の中にはたくさんの種類の音楽があるようで、そのすべてについていくのは大変です」

1983年には、マイク・オールドフィールドのツアーに参加してますね。

SH「チューブラ・ベルズの10周年記念ツアーでした。彼はバンドメンバーを集めてヨーロッパツアーを行いました。Tubular Bellsを演奏するだけでなく、他にもいろいろな曲をやりました。バイオリンのほかにキーボードとマンドリンも弾いたよ。それにパーカッションも少しやりました」

マイクは大勢のメンバーに様々に演奏させるのが好きですからね、彼の音楽には多様な音が入っていますので。

SH「そうですね、とてもテクニカルです。でも、とてもいいですよ。彼の音楽は本当に大好きです」

彼との仕事はどうでしたか?非常に几帳面というか...?

SH「ええ、とても厳しい人です。個人的には一緒に仕事をするのはあまり楽しくありません。しかし、私は彼をとても尊敬しています。彼は非常に才能があるのは明らかですが、天才ではありません。音楽は演奏していて楽しかった、それが一番大事なことです。それが音楽です」

SH「オールドフィールドの後、私はフェイマス・サイエンティスト(The Famous Scientists)というバンドを組もうとしました。実際にはどこにも行けなかったんだけど、いくつかのギグをやったり、レコーディングをしたりしたけど、何も起こらなかったよ」

フェイマス・サイエンティストは、ハウス、アンディ・コルクーン、イアン・ヘンダーソン、そしてドラマーのクリス・ノースの4人で構成されていました。ロンドンを中心にギグを行っていましたが、音源のリリースはありませんでした。

その間、いろいろなことに挑戦しましたが、なかなかうまくいかなかったのでは?

SH「そうですね。その後、コンピュータに興味を持ち始めました。Midiをひたすら追求していきました」

1985年、ハウスはThe AssociatesとVitamin Zのリリースに参加しました。しかし、ハウスの娘ホリーが生まれ、サイモンは再び仕事を積極的にするようになった。1986年には、トニー・ヒルと再会し、ハイ・タイドのアルバム「Interesting Times」を発表しました。その後、The TrypやThe Jellymonstersのアルバムに参加し、1987年には再びマジック・マッスルに参加しています。亡くなったばかりのロバート・カルバートのベネフィット・コンサートに参加したサイモンは、そこでニック・ターナーのオール・スターズや旧ホークスメンと共演。やがて再びホークウインドのメンバーとなった。1991年にリリースされた「Space Bandits」に参加し、英国ツアーにも同行。しかし、娘さんの健康上の問題により、ホークスのUSツアーは断念しました。

アルバム「Space Bandits」では、デイヴと再会して再びホークウインドに参加したのですね。

SH「はい、いくつかのツアーを行い、アルバム『Space Bandits』を出しました。いいアルバムだったよ』

『Space Bandits』USツアーは不参加でした、何があったのですか?」

SH「...無理でした。娘が白血病になったのです。だから私は家にいて、自分の作品やアルバムを作っていました。しばらく、そうしていたんだよ」

その間にハウスはターナーと意気投合し、1993年にはアルバム「Prophets of Time」に参加しています。ここでプレッシャードのレン・デル・リオと出会います。ハウスはロンドンに戻り、スパイラル・リアルムズ(Spiral Realms)の最初の作品である「Trip To G9」を制作します。1994年、ニック・ターナーのSpace Ritualに参加し、ホークスメンであるアラン・パウエルとデル・デットマーと共演します。サンフランシスコでのライブは録音され、「Past Or Future」としてリリースされました。

SH「アメリカと日本を回りました。ニックは私に電話をかけてきて、その時私は収入がなかったので、アメリカに行ってギグをしてお金を稼がないかと尋ねてきました。アメリカは熱波でした。信じられないほどの暑さで、みんな動けなかったと思うよ」

ニックのバンドはホークウインドでの演奏と違いはありましたか?

SH「確かに、違うバンド、違う人、少し違う方法で演奏しています。ちょっとした違いを感じましたね。私はとても楽しかったですが、それが何かを言うのは難しいですね。ステージ上の人数が多く、激しい演奏となりました」

その時はステージでスパイラル・リアルムズのパートがありましたね。

SH「ブライアン・ペラーラのアイデアで、デル・デットマーとまた一緒に演奏したいと思ったし、レン・デル・リオは面白いスペースエフェクトを作るし、スパイラル・リアルムズの2ndアルバムが発売されたばかりだったから、ちょっとした宣伝になると思ったんだ。私はバッキングテープを録音して、その上でバイオリンとレンとデルが演奏できるようにしました。ちょっとしたライトショーもあって、いい感じだったよ。「スパイラル・リアルムズのパートは録音され『Solar Wind』としてリリースされました」

ソロアルバム「Yassasim」について教えてください。それはスパイラル・リアルムズのようなものですか?

SH「まぁ変化に富んでいますね。スパイラル・リアルムズよりも複雑な構造になっています。音楽が多く、空間が少ない。スペーシーな音、アンビエントな要素が少ないです。アンビエントとは何かを定義するのは難しいのですが、意味としてリバーブを多用していることかな。私は、スローなもの、レイドバックしたスペーシーなものが好きです。
もう1枚アルバムを出しますが、そのほとんどはホークウインドと一緒にやった古いインストルメンタル曲です。『Hall of the Mountain Grill』『Spiral Galaxy』『Forge of Vulcan』とかね。これは私が作り直したものなんだ。(後にリリースされた「Spiral Galaxy Revisited」のこと)

スパイラル・リアルムズは続けていくのですか?

SH「ええ、あのような音楽をやるのは楽しいです。Yassasimのように、私がもっとやりたいことを実現するためにも」

あなたのキャリアはどうだったと思いますか?

SH「今までの? うーん。興味深い出来事もあったし、浮き沈みも激しかったけど、人生とはそういうものだと思うよ。音楽が最も重要なことで、今後も演奏しない、作曲しないということは考えられません。」

共演したミュージシャンの話も興味深いですね。イーノについては、共演したことのある人は皆高評価してますが、ムアコックもカルバートのソロに参加した際、イーノのプロデュースを受けてますが、やはりその印象を語っていました。(近日紹介予定)
このインタビューの中で語られているソロアルバムHOUSE OF DREAMSやSPIRAL GALAXY REVISITEDのリリースなどは実現しましたが、その後はあまり目立った活動はしていないようです。最近ではデイヴィのHAWKESTRELやターナーのアルバムにゲスト参加してます。

Prog Rock Christmas
V.A. / PROG ROCK CHRISTMAS -PURPLE PYRAMID CLO1472 (2019)
米クレオパトラ得意の企画もの。名だたるプログレ系ミュージシャンたちによるクリスマスソング集。アニー・ハスラム、イエス人脈、ソーニャ・クリスティーナ、タイス・ファン・レアなどに混ざって、ニック・ターナーとハウスのデュオ名義(ユルゲン・エングラーも参加)でSilent Nightを披露していました。


また日本では唯一であろうハウスさんのインタビュー記事が、marquee vol.069(96年12月号)に掲載されていました。斎藤千尋先生によるもの。本記事のインタビューは同じ時期なので、内容がかぶっているところもあります。

Marquee VOL069 Dec96
ニック・ターナーズ・ホークウインド来日時にハウスに行ったインタビューが掲載。そのほかノッティングヒルゲート一派の記事など当時とても参考になりました。

今回の記事公開に伴い、関連アーティストのディスコグラフィにサイモン・ハウス・ディスコグラフィを新規追加しました。


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2022/03/27 update


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